詩編137章5節 わたしがあなたを忘れるなら/わたしの右手はなえるがよい。

5節 エルサレムよ/もしも、わたしがあなたを忘れるなら/わたしの右手はなえるがよい。

捕囚となっていたイスラエルの民がエルサレム、主を慕う篤い思い、哀しみが伝わってくる。

哀しみの中に置かれている時にも、先の見えない不安の中にあっても、神様を忘れるのなら

神様から離れるのなら、そんなことがあるのならば自分の右の手は萎えるがいいと歌います。

信仰を握り地上を歩む日々に思いがけない哀しみもくることでしょう。そんな時こそ神様が

今まで良くして下さっている恵みを数えて神様の御手の業をじっと待ち望む者でありたい。

神様はすべてをご存じでこの道を歩めと言われる。ここを通り越した先に恵みが待っている。

先日は息子を通所に送りだしてそのまま主人の姉たちの見舞いに行きました。主人の双子の

妹におめでとうございますと挨拶したら「3年ぶりやねえ」と。 年末に会っていたのですが

3年くらい会わなかった感じだったのかも?顔色も良く穏やかな笑みを浮かべてくれていた。

その後は言葉もなく、それでも夫の方をじっと見ていて夫も「和子、元気だったか」と声を

かけても黙っているだけでした。年賀状を出したが読んでくれたか?と聞いたけど応えなく。

姪も年賀はがきを見せても分からなかったと。小学校から高校まで同じ学校で過ごした関係、

恩師の思い出話も通じず、双子ゆえにつらい思いもあったのでは。主のお慰めを祈りました。

次姉はベッドで動けぬままに年を越しましたがもうじき整形外科を退院してリハビリ病院に

移るように言われているとのことでした。次姉はリハビリ病院に行くか自宅に戻りたいのか

はっきり言いませんが、自分でも決心がつかないように思えました。お節を食べた?等とは

聞いてくれましたが話がかみ合わない部分もあり退院後に独り暮らしは難しいと思います。

姪夫婦は自分達が関わることになるだろうと考えていること、わが家の事情も理解していて

神様のお導きを思いました。リハビリも本人の歩きたい、歩かねばと言う意欲がないと中々

いい結果に繋がっていかないようです。息子も病院ではできずに自宅でリハビリしました。

悩んでいた信仰の友から封書が届きました。ご主人と口喧嘩をして後から詫びを入れても

返事をしてくれないと嘆いていたけど、ごめんねと折に触れて詫びればわかってくれると

思うので祈ってると伝えたら、ご主人も階段の上り下りに気を付けないとまた落ちるよと

心配してくれたと書かれていました。祈ってくれてありがとうとの一言に主に感謝でした。

それにしても寒いですね、湘南地方は雪にはなりませんが地方によっては降雪量も増えて

いくとニュースで言われていました。雪も怖いのでどうぞお気を付けてとお祈りしています。